梅は中国原産です。
紀元前200年頃の中国の遺跡から、梅干しが
入っていたと考えられる壺が出土されていま
す。その後、日本に伝わってきたのでしょう
か?
2000年前の中国最古の薬物学書
「神農本草経」に、すでに梅の効用が書かれています。
それは、いわゆる梅干しと異なり、「烏梅(うばい)」と言われる、
今でも中国の漢方薬の材料となっているものです。
烏梅(うばい)とは?
梅を黒やき、燻製にしたものです。
黒焼きとは、空気を遮断して高温加熱、炭化状態にしたものです。
黒コゲとは違いますが、その名の通り黒いです。
烏梅(うばい)について、「肺の組織を引きしめ、腸の動きを活発に
し、胃を元気づけ、体中の虫を殺す」効用が説かれています。
鎮痛、解毒・解熱、健胃整腸、虫下し、風邪予防、疲労回復などに
よく、生の梅や梅干しより効果が増すそうです。
奈良時代~現代へ
梅の木は、3世紀の終わり頃、日本に来ました。
「梅」という文字は、日本最初の漢詩集と言われる「懐風藻」(751
年)に出ており、最古歌集の万葉集には、梅を題材とした和歌が
多くおさめられています。
梅の実が食されるようになったのは、奈良時代からのようです。
柿、桃、あんずなどのように、生菓子に加工して食べていたので、
今のような梅干しという形態ではないようです。
「梅干し」として、初めて書物に出現するのは、平安中期からで、
日本最古の医学書とされる「医心方(いしんぽう)」に効用が
書かれています。
村上天皇(在位946~967年)が梅干しと昆布茶で疫病回復されたと
いう記録があり、それが「大福茶(おおぶくちゃ)」*の、そして
それが申年だったため、申年の梅は縁起がいいとの起源になった
ようです。
*「大福茶(おおぶくちゃ)」とは、正月、節分、大晦日などに
縁起を担ぎ、昆布や梅干しにお茶を注いだもの飲む習慣で、
江戸時代に庶民に広がった。
その後、梅干しは、鎌倉・室町時代の辞書類にもひんぱんに登場
しますが、鎌倉時代は、僧が酒のさかなに食べたりと限定的でした。
戦国時代は、保存食のみならず、傷の消毒や戦場の食中毒、
伝染病予防になくてはならない陣中食でした。
その戦略物資のひとつとして、武将たちが梅の植林を奨励したのが、
現在の梅の名所や梅干しの産地になっているようです。
その後、武家の食膳にも広がるようになって行きました。
江戸時代に、現在の梅干しの作り方とほぼ同じ作り方が
「本朝食鑑(1697年)」に現れます。江戸一般庶民に広がり、
現代に到ります。先の戦争では、梅干しは保存が効くため、
前線の兵士に携行食料として好まれたということです。
なが~い歴史を持ち、薬効にもすぐれた「梅干し」、
次回はまた違う側面をお伝えします。(^^)