芸者さん あれこれ・・・

先日、芸妓、舞妓、芸者などについて書いてみましたが、

そもそも芸者さんって?と思い、ちょっと調べてみました。

芸者のルーツ

古くは平安時代まで遡り、源義経の恋人 静御前が

原型らしい。

当時はやっていた歌や踊りで宴席をもりあげることを

職業にしていた遊女だが、戦国時代に1度廃れる。

巫女の職をはなれた女性がお茶くみしながら、三味線や踊り

を披露し評判になり「踊り子」と呼ばれるようになる。

踊り子は、諸国旅するようになり、「出雲のおくに」が出て

・・・今に至る?・・・

花街はどこに?

京都の「五花街」→先斗町、宮川長、祇園、祇園東、上七軒、

に対し、東京は現在「六花街」→芳町(日本橋)、新橋(銀座)

赤坂、神楽坂、浅草、向島。

ちなみに、川上貞奴は芳町の芸者だった。

戦前、東京には23区のうち 21区に花街があったらしい。

今は、6つと随分減った。

男の名のような芸者さんがいるのは、なぜ?

市丸、貞奴、豆奴・・などの名は、粋で侠気、「芸は売るが、

色は売らない」という凛とした気風のよさが売りの

江戸深川(のちの東京都江東区)の辰巳芸者(真冬でも素足、普段、

羽織を着て「羽織芸者」とも呼ばれた)がよく名乗ったそう。

(「辰巳」とは、方角のことで、都の東南方向を指す。)

彼女たちが名乗った男性名は「権兵衛名」といわれ、のちに

名前のついていない、もしくは名前が解らない人に使う

「名無しの権兵衛」のもとになったとも言われる。

諸説あるが、本妻にその存在を知られない、もしくは

わかりにくくするため、がひとつの説。

一番の有力なのが、「養子扱いにするため」という

江戸時代の事情からきている説。

江戸時代、婦女子の人身売買を厳しく取り締まっていたため、

遊郭ではその法律の抜け穴的な方法として養子扱いを

していた。養子扱いなら、人身売買にならず、

摘発されることなく、堂々と働かせることができた。

書類上の男性名が、そのまま呼び名になって、

今でも名前を付ける際の、名残りになっている説。

気風のよい辰巳芸者が、男名を名乗るのが、

わかる気がしますね。

ちなみに、京都では、「花〇」「〇その」などの、

女性感あふるる名前が多い。

お座敷遊びのお値段は?

舞妓さん、芸者さん、ひとり呼べばいいと言うわけではなく、

地方(じかた)(三味線の方)もセットの料金

+飲食代を支払うことになる。

1名につき3万円くらいらしい。ただ、人数で割ることができる

から、多人数で遊ぶとお得になる。例えば、10名だと

ひとり15000~30000円くらいになったりするらしい。

芸者さん、お座敷2時間1名あたり5万円などもあり、

やっぱり、そう気軽に、たびたび呼ぶのは難しいですね。

でも、最近はリーズナブルな観光プランもあるようで、

ちょっと試してみたくなりました。

どんな感じで、お座敷が進むかというと、

まず食事、それから舞、そして、「こんぴらふねふね」、

「野球拳」などのお座敷遊びになり、負けたら

お酒を飲むみたいです。

料金は「後払い」で、後日「お花代」として請求が来るそうです。

これはクレジットと似ていて、あとでドカーンと来るので

注意が必要ですねー。

(明日に続く・・・)

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